国際共同制作ワークショップ上演会

国際共同制作ワークショップ上演会
テーマ:化粧

アジア発の新しい舞台芸術の創造をめざし、アジアの若手アーティストが集い交流しながら、
プロデューサーの設定するテーマのもと、小作品を共同で制作します。

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概要

アジア発の新しい舞台芸術の創造をめざし、アジアの若手アーティストが日本に集って交流しながら小作品の共同制作を行います。今年はインドネシアと台湾と日本の演出家のもと、オーディションによって選ばれた出演者が3チームに分かれ、「化粧」をテーマに作品づくりを行います。それぞれ約15分間のオリジナル作品を作り、一般公開します。出演者は、東京で実施したオーディションで選ばれた5名のほか、国際交流基金アジアセンター選出の東南アジア地域からの6名、台北市文化局選出の1名、シンガポール1名が参加いたします。

昨年から国際交流基金アジアセンターが共催となり、演出家(振付家)だけでなく出演者のアジア各国からの参加が実現しました。さらに、SPAC-静岡県舞台芸術センターとの連携により、多様な文化背景を持つ参加者が共に静岡に滞在、より緊密なコミュニケーションが可能となりました。

日時・会場

2017年12月1日(金)19:30〜
2017年12月2日(土)14:00〜

上演時間:約90分(予定)

東京芸術劇場シアターウェスト [ アクセスマップ ]
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-8-1
Tel:03-5391-2111
JR・東京メトロ・東武東上線・西武池袋線・池袋駅西口より徒歩2分

脚本・演出

Yustiansyah Lesmana(インドネシア)

2003年に俳優として演劇の世界に入り、2009年にTeater Ghanta(ガンタ劇場)の演出家となる。同年に「College Students National Theatre Festival(全国大学生演劇祭)」で最優秀演出家賞を受賞。2011年と2012年には「The South Jakarta Theatre Festival(南ジャカルタ演劇祭)」で、2013年と2014年には「Jakarta Theatre Festival(ジャカルタ演劇祭)」で最優秀演出家に選ばれる。2014年、スイスで開催された「Imagine Festival(反レイシズムのアートフェスティバル)」に招待された。10以上の創作・演出作品を発表しており、オブジェやメインテーマとしてありふれた日常品を取り上げたものが多い。主な作品は、『Dari JAM BAN ke Speed Tank(クロックタイヤ—トイレ—スピードタンク—浄化槽 2009)』、『GASPOLREMBLONG(2011)』、『LIKUKULIKU(2014)』など。『Jakarta Karikatur(2012)』、『dan STIANG?(2014)』では、伝統的なアプローチを題材としている。現在、Teater Ghantaの演出家を務め、様々なテーマに対して共同作業と分野横断的なアプローチで取り組んでいる。共同作業を通じて、変化する文化と現実のなかから「演劇とは何か」という根本的な問いに答える方法を模索している。

西 悟志(日本)

1974年広島生まれ。演出家。東京大学在学中より劇団を立ち上げ、2002年利賀演出家コンクールにて優秀演出家賞を受賞。翌年、受賞作をモスクワで上演。演出作にイヨネスコ『二人で狂う』(受賞作)、イプセン『人形の家』、ワイルダー『わが町』など。2005年劇団が解散。10年の活動休止を経て、2016年にチョウソンハ・池田有希子の二人芝居『マクベス』を演出。おもしろくする!が信念。

Chien-Kuei Chang(台湾)

Chang Dance Theater(長弓舞蹈劇場)の創設者、振付家。パリ、マドリード、マイアミ、バンクーバー、香港、マレーシア、インドネシア、シンガポールと台北で公演を行う。台湾の「Taiwan Choreography Dance Competition(舞躍大地舞蹈創作比賽)」で2011年、2012年と2014年に年度大賞を受賞し、2011年と2012年に優選賞を受賞。作品はパリ、スペイン、シンガポール、中国で招待上演されている。また、シンガポールのダンス・カンパニーFrontier Dancelandに振付家として招待されている。

出演者

藤田善宏 <CAT-A-TAC/コンドルズ>
平山葉子
石井武 <石井漠記念創作舞踊団>
石井麻衣子 <VASP Inc.>
三方美由起
Desi Susanti <インドネシア>
Lê Minh Quân(ベトナム)
Nyan Lin Aung (ミャンマー)
Pathavee Thepkraiwan(タイ)
Denise Mordeno Aguilar(フィリピン)
Abner Delina Jr.(フィリピン)
Chang Ho-Chien <Chang Dance Theater>(台湾)
Zee Wong(シンガポール)

ワークショップコンセプト

文化というものは「交互に影響し合い、変容し続ける」ものとして捉えなければなりません。
自国・自地域の「文化的アイデンティティ」を追い求める余り、みずからの文化がまるでフラスコの中で他からの影響を受けずに成立したかのようにみなしたり、あるいはそういう部分をみつけることが「自国の文化的オリジナリティの発見」であるかのように考えては、事実をゆがめてしまいます。 人間は本来、他者の文化に対してきわめて貪欲であり、「自分たちにはないもの」と出会うとたちまち興味を抱いてそれを移入しようとします。そのようにしておこなわれた混交と切磋琢磨の結果として、文化芸術の進化・洗練が成し遂げられたことを忘れてはならないでしょう。 しかし、そのようなダイナミックな交流があってもなお、世界の文化がひといろにならなかったのはなぜでしょうか。

それは、人間の身体を規定する基本的なファクターとしての、「言語」「気候風土(それによる生活様式と食物)」が、各地域で異なっているからだと言えるでしょう。 アジアの舞台芸術家同士が出会うとき、もっとも大切なことは、この違いに対するケア、つまり、相手(他者)の身体が、自分とは異なるものに規定されていることへのリスペクトでしょう。それを忘れて「共通点」「近似性」にばかり目を向けても、荒っぽい出会いしか生まれず、芸術史を前進させるような洗練がなしとげられることはありません。 アジア人同士は、フィジカルにはかなり似た身体を持っているからこそ、その身体を規定する「自他の差異」に敏感でなければならないし、また、フィジカルな近似性を前提に出来るからこそ、差異に敏感になることが比較的容易だと言えるでしょう。近代以前にアジアの身体表現、芸術文化がおどろくべき高みにまで達したのは、そういう「敏感で繊細な出会い」があったからにちがいありません。

テーマ 「化粧」

今年のテーマは「化粧」にしたいと思います。
南米先住民においては自然と文化の境目は「食べ物に火を通すか否か」にあり、北米先住民においては「身を飾るか否か」にある、とレヴィ=ストロースが書いています。いずれにしても化粧は人間だけしかおこなわない行為であり、人間はいつの時代もどこの地域でも化粧をおこなってきました。そしてまた化粧は演劇においてもっとも基本的な要素のひとつです。したがって、化粧について考えることは、人間とは何かを考えること、演劇とはどういうものでどう変化してきたかを考えることにつながります。 今回は、演出家と出演者のみなさんで化粧について考察するところから、小作品づくりを始めてみてください。もちろん稽古が始まる前に演出家が自分自身の考えを深めておく時点からこの作業はすでにスタートしていることになります。

宮城 聰

演出家コンセプト

Yustiansyah Lesmana(インドネシア)

コンセプトペーパー:ユスティアンシャ・レスマナ

今、世界で大っぴらに繰り広げられる「戦いを叫べ」の背後にあるもの。この戦いは常に、敵に対する戦略的な動きを隠そうとしている。戦術とは、可能な限り相手に知られずに攻撃を繰り出すことだ。その手段が策略であろうと、人を死に致らせる技術であろうと、あるいは目標を達成するために必要なその他の技術であろうと。

今回、APAF 2017とのコラボレーションの機会を得て、私は「化粧」を、自分を見えなくする、追跡できなくする、検知できなくするための行為または試みでありながら、それ自体に目的と働きがあるものと位置付けたいと思っている。誰からも見られないようにする試みでありながら、何もないところからいきなり驚かすことができるもの。林の中での戦闘中に兵士がやるようなことだ。彼らは、林や植物を模した化粧を自分たちの顔や体に施してカモフラージュする。ある時点で作戦が成功すれば、相手に気付かれずに先手を打つことができる。そのように、化粧は破壊・驚きを作り出す道具として見ることができる。極めて本能的でありながら、同時に非常に概念的でもある。

コラボレーションはまた、多くの驚きに満ちたものになるはずだ。各アーティストはそれぞれの驚きの体験を共有し、互いに伝え合うよう求められる。その後は作品の中で驚きを合作する。そこには様々な可能性がある。個別に互いを攻撃することもできるし、誰か一人を驚かすために協力することもできるし、あるいは観客に完全に受け入れられるように工夫することもできる。驚きは悲劇を測るためだけでなく、悲劇そのもののためにも使われるからだ。

そして、私はそれを……「なんたるクソだ(OH MY SHIT)」と呼ぶだろう。

会話を始めるにあたり、いくつか質問をしたいと思う。

  1. 驚きとはなんだと思いますか?
  2. 驚いたことや驚かせたことなどについての経験を教えていただけませんか?
  3. 化粧と驚きとの相関関係については、どのようにお考えですか?
  4. このコラボレーションで驚きを創り上げることはできますか?
  5. このコラボレーションで驚きを創り上げることはできますか?

今のところ思いつくのは以上だが、もちろん、自由に議論していきたい。


西 悟志(日本)

コンセプトペーパー:西 悟志

かつての演劇に「化粧」が不可欠であったとして。私の演劇に化粧はいらない。でも……なんでだろう? なにゆえそんなケバいメイクをするかと、演劇の当たり前を問い直したいという気分から、役者に問うたことがあった。答え。劇場なら派手すぎくらいが、客席からは「ふつうに見える」のだそうだ。ふーん。

映画をよく観る。歴史が100年そこそこの映画から、人間の歩みと共にあった演劇への影響ってなんだろう、とよく考える。芝居の派手すぎなメーキャップって、思うに映画のクローズアップじゃないのか。つまりそれは“顔を見たい”という欲望に関する技術だ。顔見たいならさー、もしかして人は映画を選ぶんでは?……だったら現代演劇にいわゆる化粧は要らない!(リアリズム万歳!)
しかし、なお、それでも人は「化粧する」。顔にでなければ、虚実の間に。ふつうに見えるためにも、ふつうに見えないためにも。その技術の本質って要は「演技」じゃないか。
マンガ『ハッピー・マニア』を舞台に乗せようと思う。主人公“恋の暴走列車”シゲカヨのルームメイト、クールで辛辣なフクちゃんは美容部員。フクちゃんがそう描かれる必然って、「大人として取り繕うことが上手な人」だからなのだと考えた。シゲカヨは演技しない(できない)。フクちゃんは演技上手。暴走するシゲカヨと冷めた目のフクちゃんの間で、私たちは行ったり来たりしている。
「化粧」とは〈その間の境界〉なのだとしてみる。向こう側にある逞しい妄想と、こっち側の冷徹なリアリズムを往来しながら、私たち人間の、空回りする無限の欲望を表現してみたい。楽しく。ダンスみたいに。


Chien-Kuei Chang(台湾)

コンセプトペーパー:チェン‐クエイ・チャン

《部屋(The Chamber)》

私にとっての「化粧」とは、意識していないときでさえ、私たちの生活の隅々にまで入り込んでいるもの。これを、感情と動作とで表現したいと思っている。これは、関係性と信頼についての作品である。どうやって人と繋がるか? 一人のときにどうやって気分を変えるか? また、社会の中での個人としての私たちについての作品でもある。化粧をせずに、自分自身と語る瞬間。これはリアル。

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