APAF ART CAMP ラウンドテーブルプレディスカッション2012

APAF ART CAMP
ラウンドテーブルプレディスカッション 2012

APAFアートキャンプの柱の1つである「アジアの若い演劇人のネットワークづくり」のため、アジア各都市から気鋭の舞台芸術専門家を招聘し、今後のコラボレーションを視野に入れた議論の場「APAFアートキャンプ・ラウンドテーブル」を設けます。日英同時通訳付きました。それに先立ち、宮城プロデューサーの投げかけた≪議論の出発点≫に各都市アーティストが答える形でコメントを寄せてもらい、議論の準備を始めました。

宮城聰:アジア舞台芸術祭・総合/プロデューサー

アジア舞台芸術祭2012では、アジアの若いアーティストのネットワークづくりをめざし、また、アジア内での国際共同コラボレーションを更に進めるために、実際に会って直接議論をおこなう「APAFアートキャンプ・ラウンドテーブル」を実施することにしました。 アジアの6都市から東京にいらしていただける皆さんと、東京から参加する広田さんの活発な議論を期待しています。 「APAFアートキャンプ・ラウンドテーブル」の準備として、ウェブ上での公開ディスカッションをおこないたいと思います。7名のラウンドテーブルメンバーに加え、国際共同制作ワークショップEXTの演出家として参加されるデリーのチャウダリーさんにも、特別参加いただきます。 まず、以下の質問を出発点としたいと思います。

・自国の伝統的なパフォーミングアーツと、みずからの創作活動の距離をどのように取っていますか?
・あなた自身の母国語を解さないパフォーマーとのコラボレーションに期待するものはなんですか?

バットルーガ・アグルー

2012/11/29 17:45 JST

自分たちのコメディ・パフォーマンスに関しては、伝統舞台芸術から学び、それを取り入れることが多いです。伝統の一部になり、その灯が消えないように受け継いでいきたいのです。モンゴルの伝統舞台芸術とは何なのでしょうか? ゴビ砂漠(Saran Khokhoo)で18世紀の大乗仏教の僧が演じていたアンフィテアトルム(円形劇場)について語ることもできますが、それよりも、遊牧文化と生活についての方を語りたいと思います。特に馬は、精神性、純真さ、自然とのハーモニー(とても大切なことです)のメタファです。馬頭琴(馬の頭を型どった弦楽器)や、オルティンドー(モンゴル語で『長い歌』という意味の民謡)やホーメイ(喉歌)もあり、モンゴルの人々、そして限りなく広大で、山の頂上には雪が積もり、広い砂丘のある土地を表現しています。だからわたしは、自分が演技をする時は、自国の伝統舞台芸術とは近くありたいと思っています。もちろん、何世紀も前の姿をそのまま守っていかなければなりません。

二番目の質問について。
アートは、人間に知的なことを求めます。それには、真実で応じなければなりません。わたしたちは、皆アーティストであるということでは同じです。それゆえ、言葉の違いは、それほど重要ではないでしょう。

パーリン・カイ

2012/11/26 22:27 JST

自国の伝統的なパフォーミングアーツと、みずからの創作活動の距離をどのように取っていますか?

演出家としてではなく、プログラマーとして見解を述べようと思います。

シンガポールは、多様な文化のメルティング・ポットであり、主に、中国人、マレー人、インド人、ユーラシア人から成り立っていて、世界中から移住してくる人も増え続けています。シンガポールの文化と人々はこれらのハイブリッドと言えましょう。

わたしたちの伝統、文化は、それがアジア的なもの、ヨーロッパ的なものに係らず、自分たちの思考や、あり方に浸透していると信じています。今日わたしたちが伝統芸術だと見なしているものも、どこからか進化したものであり、時の流れの中では、それがコンテンポラリーであったこともありました。(ズレイカさんとモハメッド・ファウジさんが言っていた通りです)伝統芸術から多くのヒントを得るシンガポールのコンテンポラリー・アーティストは少なくありません。シンガポールで最大の2つのダンス・スクールでは、生徒は全員さまざまなダンス・フォーム ― 中国舞踊、マレー舞踊、からバラタナティアムまで ― を学ばなければなりません。このように、伝統の形は、新しい世代に受け継がれていくのですが、多くのアーティストが、伝統を、自らのコンテンポラリー・アートとしての表現に融合させています。わたしたちは、コンテンポラリー・ビジュアル・アーティストのOsman Abdul Hamidさんとコラボレートしたマレーのベテラン・ダンサーであるHo Tzu Nyenさんと地元の神話を探る共同制作を行いました。彼らは、マレー・ダンスの言語とロック、そしてドローン音楽を融合させることを試みたのです。この作品はフレッシュで、ユニークなビジョンを持ち、さまざまで新しい観客が、違ったレンズと見解から、伝統の形に触れることができ、すばらしいものでした。

プレゼンターとして、わたしたちは、いろいろな伝統芸術の公演を催します。マスタークラスや、マスター・アーティストが知識やスキルを若いアーティストに伝えるワークショップも催します。

大切なのは、作品が本物で、アーティストにとって真実であることです。

・あなた自身の母国語を解さないパフォーマーとのコラボレーションに期待するものはなんですか?

準備期間を長く設けることだと思います。

なんとなく皮肉な表現になってしまいましたが、お互いを理解するために、稽古場以外の場所で時間を一緒に過ごすのは大切なことだと思います。そうすればもっと上手くいくし、意味のある共同制作になるのではないかと思うのです。また、演出家も、なぜ共同制作を行うのか、という強い動機と見解を持つべきです。

同じ言語を話さない時、人はコミュニケーションに対してクリエイティブにならざるを得なくなります。考えをシンプル、明瞭にし、他のコミュニケーション方を模索しなければなりません。身体が何かを真に表現しなければなりませんし、時には、これは言語より明確になります。

わたしたちは、聴覚障がいを持った(聴覚と発声が不自由)身体表現の俳優とミュージシャンとで、すばらしい共同制作をしたことがあります。それぞれ拠点にしている国が違うので、共同制作する時間は3週間もありませんでしたが、そのミュージシャンがすばらしいコンテンポラリー・ミュージックを創ることができたのは、俳優が各場面に鋭い焦点をあて、身体を使い、アイディアをコミュニケートできたからだと思います。

モハメド=ファウジ=ビン・アマド

2012/11/26 17:19 JST

最初に、マレーシアの舞台芸術の背景を説明させてください。マレーシアの伝統的な舞台芸術は、本来、非常に多種多様です。マレーシア半島とマレーシア東部の先住民の音楽やダンス、古代宮廷に関連したヒンドゥー教や仏教のダンス・ドラマや、イスラム・コミュニティの音楽やドラマが取り入れられ、そして膨大な数のマレー民族音楽・ダンスが他の重要な文化的影響を受け何世紀にもわたって発展しました。多文化なマレーシアでは、とても大きな中国やインドのコミュニティによる舞台芸術もこれに加わります。

マレーシア半島の先住民のコミュニティでは、マレーシアでの最古の伝統が生き残っていますが、その数は少なく、マレーシア半島のあちこちに散り散りになっています。東マレーシアのダヤク族コミュニティでの伝統パフォーマンスも、古代からの要因を持ち続けています。この伝統的な社会では、音楽や歌、ダンスが季節の移り変わりを示すお祭りや儀式におけるなくてはならない要素になっています。東マレーシアが誇るものには、膨大な種類の先住民から伝わるダンスがあり、伝統的に、深い儀式的な意味を持っています。しかし、最近では、儀式を重要視しない傾向が強くなり、お祝いの場でのダンスに取って代わられています。例をあげると、最近のボルネオ島の独立したパフォーマンスで見られるダンスなどです。

マレーのコミュニティと共に、多くのヒンドゥー教・仏教以前の伝統要因も、原始的な演劇の形のまま保たれています。アジアの他方面では、叙事詩の朗唱、詩を使ったゲームやシャーマニズムのような古代のアニミズムのジャンルが、伝統マレー演劇の発展におおいに貢献してきました。このような原始的な演劇の形は今でも多く存在しています。マレーの古典音楽やダンスの伝統は、最初のミレニアム後半で、インドネシアの群島の発展と共に、進化し始めました。宮廷と今なお残るマレー北部/タイ南部のクラシック・ダンス・ドラマの関わりは、数世紀さかのぼるだけで、見いだすことができます。このようなダンス・ドラマの先駆者はマレーの宮廷で演じられていたということです。

マレーで人気のある演劇における最も重要な発展は - 後に東南アジア全域に重要な影響を与えたのですが - 19世紀後期にマレーシア島の豊かな西海岸の土地で培われました。貴族による人気のある演劇は、インドのパルシー教徒の劇団を真似ることで創られたと考えられています。それは、1870年代にインド演劇や、アラビア演劇、シェークスピアなどを演じていました。リアルな舞台道具や精巧に作ら上げられた場面を先導的に使うことで、マレーの歴史や、民話、アラビアのロマン、イスラムの文学や毎日のドラマを語ってきました。それは今でも、斬新なタッチを加えられて公演され、伝統を失わずに、今日のコンテンポラリー・ドラマへの一歩になったのです。

それゆえ、マニラから参加しているわたしたちの仲間に同意いたします。クアラルンプールでの舞台芸術シナリオも、伝統はかつてコンテンポラリーであったように、わたしたちの伝統舞台芸術に根付き、何年もの間、お互いと融合してきたのです。この進化は特にクアラルンプールの現代演劇、ダンス・ドラマやミュージカルに見ることができます。地元や海外の大学で舞台演劇を学んだアーティストもたくさんいますが、他の国と違って(事実はどうか、確信はありませんが)観客を得るのに苦労している部分もあります。

2番目の問いかけへの返答です。異なる文化、言語を持つパフォーマーとのコラボレーションは、違う信条や訓練法のアーティストとのコラボレーションに似ていると思います。もちろん、コラボレーションをするアーティストの文化的背景、歴史などを学ぶことは、言語の壁を低くし、パフォーマー同士だけではなく、観客にも、身体の動きを通じた文化というものを見る良い機会になるのだと思います。

バンバン・プリハジ

2012/11/26 15:47 JST

私にとっての伝統

伝統には2つの種類があると私は考える。第一は静的伝統である。これは、そのメンバーによって代々受け継がれてきたコミュニティの習慣である。一般的にこの伝統は、様々なパケム(ワヤン劇の古典的演目)のように制度化・標準化していたり、規則を持っていると理解されている。これは後に法文化、政治、経済、コミュニティの性格やアイデンティティ及びその文化が生まれた時の時代精神を描いた文化芸術といった文化的産物に派生する。この伝統は族長としての立場にいる者や村の長老、ある特定の伝統形式の影響を受けた忠実な信奉者と一般市民によって守られてきた。

第二は動的な伝統である。この伝統は文化的産物に派生するような厳格な標準や制度を持たないコミュニティの習慣で、第一の定義とは相反するものである。この伝統は常に流動的であり、よりダイナミックである。この伝統は制度というより、グローバリゼーション精神と独立の時代の中で自分自身のアイデンティティを探すための熱意とプロセスである。これを行う者は、伝統とは文化的産物が生まれる土台となった時代の精神であると理解している。よって、70年代の、特にインドネシアの劇作家は、ロマン主義的なコンテクストではなく、当時の時代変化の中で自分自身を憲法に組み入れるための試みとしてその伝統へ回帰する動きをすでに見せているW・S・レンドラ、テグ・カルヤ、プトゥ・ウィジャヤ、アリフィエン・C・ノエル、サルドノによって行われ、その後に異なる民族の文化的背景を持ったブディ・S・オトン、ラチュマン、サブール、ディンドンなどに継続されたように。彼らは当時の伝統芸術家から激しい抗議を受けたが、伝統を舞台作品の形態の水準にまで革新した。

それに基づき、伝統とはプロセスそのものだと私は考える。今日の出来事に対して十分な理解力を備えた舞台役者を起用すれば、彼らは時代やコミュニティの精神を表すことのできる新たな作品を創りだすだろう。今日のジャカルタにおける劇場の伝統は、そのような動的な伝統に対する探求の取り組みをより強化している。静的な伝統が舞台役者によって直接的には経験されない形態であるからというだけでなく、ジャカルタの日常的な状況が、政府による便宜がまだうまく図られていない専門的なマネージメントワークの中で作品を生みだすために舞台役者を必要としているからである。

実際には私は、世界の他の伝統と同様、現時点では伝統的なインドネシアの伝統と(舞台)芸術からはかけ離れているものと理解し、感じている。新たな舞台作品の創造の土台となり、トレーニング方法にインスピレーションを与えたいと思ったので、私は長く深く研究と調査を行わなければならなかった。

研究の程度に関連して、私はいくつかの共同研究を行うことができた。共同研究の参加者たちとは言語が異なっていた。私にとってこれは興味深い挑戦であった。

第一の、そして主要な条件は、各参加者が自分自身さらけ出す心構えをすることである。どこの誰であろうと他人に自身をさらけ出すことは、内面や人生にその人を入れ込むことである。この第一の意識は互いの平等な評価や信用を得ることにつながるだろう。

共同研究の参加者は一様に幅広い理解力を備えていなければならない。各人の口語や方言やボディーランゲージを理解することから始まる。この時点ではある意味で、意思疎通に用いる言語はひとつ(英語)である必要はない。つまり、共同研究の実践では、各参加者が互いに言語を理解し合うことが必要とされる。自然な形で互いの信頼の構築がなされた時、我々はさらなる計画や、共同研究の目標・目的について語ることができるようになるのである。

豊かな国によって費用が賄われる芸術家の会議の所定の議題となる場合を除き、共同研究がただ単に言語、肌の色、宗教、国家が違う他の人間の表面を知ることだけを目的としたなら、人生にとって、また現在のようなグローバリゼーションの時代にとって不十分であると私は考える。反対に、共同研究が人生の意味や完全なヒューマニズムそのものを深く調べ、宗教的な理解、文化的産物の流行、各地方の伝統、超越する可能性が高ければ、たとえ生まれや基本的な性格が異なっていたとしても、よりよい人生のため、そして全ての人々が全ての場所に快適な家を持っているかのように感じるために、このような調査は世界(アジア)の社会にインスピレーションを与えるであろう。

私が先ほど述べたように、この理想的な理解と精神にはきっと舞台芸術の作品を生み出すための親密な集まりが必要とされるであろう。親密な関係は、コミュニケーションの問題を最小限に抑える実践的な方法を学び、共同研究者によってもたらされる各伝統や各文化を深く理解するという気持ちを持って自分自身をさらけ出すことで始めることができる。

私の理解では、根深い調査とは各参加者によってアジアの自国または周辺地域の社会生活において実行されるものである。

呂岩

2012/11/21 18:00 JST

自国の伝統的なパフォーミングアーツと、みずからの創作活動の距離をどのように取っていますか?

中国では、伝統舞台芸術を定義するのは困難です。わたしの見解では、「リアリズム」と言う言葉を使って定義します。中国の伝統文化芸術では、パフォーマーは、脚本で与えられた状況に、真実の姿で演じることが求められます。演出家は、その時代と国のスタイルが伝わるように、パフォーマンス・スタイル、ステージ、衣装を厳しく追及します。わたしの創作活動で、最初に考えるのは、そのコンテンポラリー性です。つまり、どんな媒体や手法が古典を伝えるのに適しているか、ということです。例えば、ハムレットを近代の観客に伝える時です。このような理由で、演出家は、固有法(inherent laws)や舞台仮説(stage hypothesis ※演劇によって何かを表現するのに、登場人物の国籍や場所・時代設定などは、問題にせず、その人の人間性のみに焦点をあてること。例えばハムレットを表現するのに、必ずしもハムレットがデンマーク人であり、舞台が16世紀頃のデンマークである必要はない)の審美的な質を追求すべきなのです。舞台仮説の見えない可能性を引き出すことによって、舞台芸術は具象的なドラマの時空を突破することができるのです。

呂岩

2012/11/21 17:59 JST

あなた自身の母国語を解さないパフォーマーとのコラボレーションに期待するものはなんですか?

この質問自体、そして答えも興味深いと思います。異なる文化背景の人々の間でコラボレーションをするのは、予測のつかないことや、衝突すること、文化的なぶつかり合いもあり、充実した経験になると共に、大変やりがいのあることだと思います。同時に、このような経験は、爽快でわくわくさせたり、はっとさせたりするインスピレーションを引き出すものでもあります。芸術は、すべての国境を越えると思っています。アーティストは、舞台芸術に対して、それぞれ違う見解を持っているかもしれません。しかし、多くの文化の間で、お互いに浸透しあうこと、お互いに影響を与えることは、すばらしい価値のあることであり、すべての芸術の未来なのです。

ズレイカ チャウダリー

2012/11/20 14:47 JST

伝統というのはその時代においては、コンテンポラリーであったと考えることもできます。その時その時点で経験したことを、調べたり表現したりするために、言葉や形が生まれました。今と同じです。自分たちが伝統から近いか遠いかは、時の流れのどこに自分たちを置くかによります。最近、ジョルジョ・アガンベンによるエッセイ「コンテンポラリーとは何か?」を読みました。そこで著者は、自らをコンテンポラリーと呼ぶのは、世紀の光によって、他のものが見えなくなるのではなく、その世紀の影も垣間見ることができる人だと言っています。暗闇をどうとらえるか、なのです。

今/現在というのは、地点ではなく、姿勢なのです。新しいことだけではありません。アガンベンは1920年にオシップ・アンデリシュタームによって書かれたVekという有名な詩について語っています。この詩のなかでは、20世紀の初頭は、まるで野獣のようであったと表現されています。アーティストの身体と詩が繋ぎ合わされ、思想家とアーティストからの直接の返答を求めています。その世紀のバックボーンは壊れているのです。砕け散ったバックボーンがコンテンポラリーなのです。ここからアガンベンは、壊れた時間の観念であるコンテンポラリーのモデルを提案しています。壊れた時間は、特定の返答を求めます。そして、それは、わたしたちの時間なのです。現在ここにあるけれども、実際にはとても遠いもの。わたしたちに届くことはできません。バックボーンは壊れているのです。そして思想家であり、アーティストであり、実務家であるわたしたちが、この、時間が破損された場所にいます。新しいということではないのです。コンテンポラリーであるというのは、新しいことと親密になるのではなく、この危機をとらえることです。このエッセイは、クロノロジーの外にある時間を仮定しています。過去も未来もありません。ただ、異なる時の間の関係の問題なのです。

もし、伝統がアーカイブだと見なされるのであれば、アーカイブは「存在するもの」と、「歴史上欠落しているもの」も含んでいると考えられます。わたしはアーカイブにないものを示唆する鍵を探すことに興味を持つようになりました。アーカイブが沈黙していることに耳を傾けるには、想像力を駆使しなければなりません。歴史家が、これをするのは許されていませんが、アーティストならできることです。数年前、詩人とパフォーマーのために、カシミールの中世初期の哲学、美学者であるAbhinavaguptaによる10世紀のサンスクリットの文書を読みました。Abhinavaguptaは、俳優が演じることのできる効果的な表現の一連のカスケーディングを創るために、感情と身体を結びつけるスキームを提案しました。例えば、恐怖から、激しくエロチックなことまで、さまざまな感情的状態が混ざり合った鳥肌が立つような経験もできるのです。Abhinavaguptaの提案は、わたしたちがすでに知っている範疇で行うことができますが、それは分類を拒否します。なぜなら、それは、一緒のクラスと見なされないことの創造になり得るからです。わたしの一連の作品は存在することと徐々に消えていくこと、言葉では表せないほどリアルで、謎に満ちた経験を構築する方法を経験したり、模索したりする方法にかかわっています。

2番目の質問については、わたしはこのように考えていることに気づきました。異文化、そして同じ言語を話さないパフォーマーと創作活動をするというのは、違う信条や練習法を持つアーティストとの創作活動をするプロセスに似ているのでしょうか? このプロセスから、学んだり、見直したりできることは何なのでしょうか?

タックス・ルタキオ

2012/11/15 23:55:00 JST

国民であることと多様性

わたしの創作活動は、自分の国の伝統的舞台芸術が深いルーツになっています。創作活動と伝統的舞台芸術の間に距離を置くのではなく、その二つを融合させ、もしその間にギャップがあるのなら、その掛橋になることが、わたしの個人的な願いです。アーティストとして、国際的なアイデンティティを持つ前に、まず母国の一員としてのアイデンティティを確立すべきだと思います。

わたしの創作は、「アーティスト」としての表現だけでなく、むしろ、わたしという「一人の人間」を表現します。私のアイデンティティは、自国の歴史により、形作られています。つまり、わたしのアートと、わたしの国のアート・ヒストリーの間がつながっていないのなら、わたしのアイデンティティは調和が取れていないということになります。わたしのアートは、たった一本の糸で成り立っているわけではありません。自ら誇りに思う母国の発展の一部となり、その中にしっかりと織り込まれているのです。

英語やフィリピン語を話さない人々と、共同制作をする機会があったら、それぞれがどんな個性を持った人でも、皆アーティストなのだということを忘れないようにしようと思います。そこには普遍的なこともあるでしょう。そして、どんな舞台芸術においても、自分が慣れ親しんだ文化と違うものに畏敬を感じることはあるでしょう。そのような文化的細部に共通することを見出すことができたら、それはとても楽しいことになると思います。

アートそのものが、多様性をまとめる創造なのだと思いませんか? アーティストとして、この創造力こそが、言語の壁を乗り越えるものなのだと思いたいのです。そもそも、信号伝達システムとしての目的以外、言語とは何なのでしょうか? いろいろなシステムがありますが、自分がビジュアル・アーティストであるというのは有意義だと思っています。「言葉」や「文法」の代わりに、「画像イメージ」、「非言語的」なものを使います。結局、共同制作のプロセスは、わたしたちが分かち合っている表現方法を高めてくれるのです。

広田淳一

2012/11/14 8:14:00 JST

・自国の伝統的なパフォーミングアーツと、みずからの創作活動の距離をどのように取っていますか?

日本には「能」「狂言」「歌舞伎」「文楽」そして「落語」などといった様々なパフォーミングアーツがあり、幸いなことに私たちは今日でもそれらの伝統に比較的容易に触れることができる環境にあります。ただ、私のように現代劇を比較的小さな規模で創作している人間と伝統芸能に従事する方々との交流はそんなに盛んではありません。私の作っている作品は、その影響の多くを西洋の舞台芸術に依っており、多くの点で伝統芸能とは切り離された文脈で私は創作を行なっていると言ってよいかと思います。

では、何も影響を受けていないのかと言えばやはりそんなことはありません。直接的には僕は劇作においても演出においても「落語」の影響を強く受けていると言えるでしょう。「落語」は座布団の上にたった一人の演者がいて、終始、正座をしたままでパフォーマンスを行うというとても変わった表現です。一人で演じる、笑いが表現の重要な要素である、という意味ではスタンダップ・コメディと通じるものがありますが、落語は複数の登場人物を一人のパフォーマーが演じ分けるという意味で、より複雑な物語を扱う表現だと言えるでしょう。

「噺家」と呼ばれる落語のパフォーマーは、その上演の間、ほとんど完全に移動をしません。座ったままで、物語の内容をすべて表現してしまうのです。道具類や照明効果なども例外的な場合を除いてほとんど使いません。つまり、一人の和服を着た人間が正座をしたままで、最初から最後までを通してしまうのです。そのような極限まで省略された表現は、極めて洗練された演劇技法だと言えます。観客は、止まったままの演者の中に様々な動きを想像するのです。

私が演出をする時にはあまり多くの道具を使わず、なるべく俳優の身体表現ですべてを表そうとするのはそういった表現からの影響が強くあるのだと思います。

もちろん、所作に関しても伝統芸能の影響は強くあります。声の出し方、身体のバランスのとり方などにその影響は強く見られます。バレエのように重心を高く保ってバランスを取る方法とは違って、日本の伝統芸能の基本は重心を低く保つことにあります。そのような低く保たれた重心を「力強い」と感じ、「安定している」として目指すべき指標と考えているのはやはり伝統芸能の影響を意識的、あるいは無意識的に強く受けている部分かと思います。

・あなた自身の母国語を解さないパフォーマーとのコラボレーションに期待するものはなんですか?

一つには同国人とは明らかに異なった文脈を持つ身体性です。日本で暮らしている人間が持っている身体性、所作の同質性というものはとても強いものがあります。日本の国土は決して小さくは無いですが、どの地方の人間にしてもかなり高い身体的な同質性を持っていると言えるでしょう。時にそれは私たちにとって調和と完璧な同期をもたらしますが、無意識のうちに人間の可能性の限界を狭めてしまっている側面も多いかと思います。

韓国の伝統舞踊を学んだダンサーとコラボレーションを行った際には、アジア的な重心の低さ、安定性を持ったダンサーがクルクルとアクロバティックな回転を行い、重心を激しく上下動させて踊る動きに驚かされました。それは日本の舞踊やバレエとは根本的に異なるメソッドから産み出された動きで、その俳優個人の個性というものを大きく越えて、その俳優の育った文化的なバックボーンに私は直接触れることが出来たと感じました。それは私にとってとても興奮を覚える体験でした。今後もそういった身体の扱い方、所作についての「驚き」を感じる出会いを期待しています。

別の言い方をすると、母国語を解さないパフォーマーとの出会いは、むき出しにされた人間の身体との出会いを私にもたらしてくれるのだと思っています。日本的なるもの、を持たないパフォーマーたちとの出会いによって、日本的なるものを再発見すると共に、人間の身体のもっている素材としてのパワーに出会えることを期待しています。

アーティスト一覧

[マニラ]タックス・ルタキオ Tuxqs Rutaquio

1974年生まれ
演出家、企画制作、俳優

フィリピン文化センター所属<Tanghalang Pilipino (タンガラン・ピリピーノ)>アソシエート芸術監督、フィリピン文化センター主催フェスティバル”Virgin Labfest (ヴァージン・ラブフェスト)” 芸術監督/ドラマツルグ、劇作家協会会員、ミリアム大学コミュニケーション学科講師

劇作家Layeta Bucoyとの共同作業が特に高く評価されている(2011年6月には、「Tu Dulce Extranjera」をアイルランドのダブリンとカウンティ・オファリーで上演)。そのほか、ウィリアム・シェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」、フェデリコ・ガルシア・ロルカ「5年たって」などの演出もてがけている。

[ジャカルタ]バンバン・プリハジ Bambang Prihadi

1976年生まれ
演出家、劇作家、俳優

Lab theatre (ラブシアター)芸術監督・代表、インドネシア演劇連合事務局長

2008年 世田谷パブリックシアターアジア現代劇プロジェクト「オン/オフ」 (On /Off)(演出:ディンドン・WS)に俳優として参加するなど、ディンドン・WS演出作品に多く出演、プロデュースをおこなう。Lab theatre (ラブシアター)制作による作・演出作品に、「KUBANGAN (MUD HOLE)」(2005年?2008年)、「CERMIN BERCERMIN (MIRRORS)」(2011年)などがある。その他、演劇ワークショップ講師、地域の演劇フェスティバル審査員など多数。

[上海]呂岩 Lu Yan

1974年生まれ
演出家

上海戯劇院講師

ロシア国立サンクトペテルスブルグ演劇アカデミーに留学しユーリ・リュビーモフ等に師事、演技・演出コース博士課程修了。演出作品に「女中たち」、「ロミオとジュリエット」、「ゴドーを待ちながら」「オセロ」「マクベス」「ハムレット」などがある。国際的な活動も多く、2011年7月には、アヴィニヨン・オフの中心的存在テアトル・デュ・シェーヌ・ノアール主宰のジェラール・ジュラスと共同で中国古典劇「Si Sang Ki」を上演、好評を博す。

[クアラルンプール]モハメド=ファウジ=ビン・アマド Mohamed Fauzi Bin Ahmad

1965年生まれ

The Arts and Cultural section for Kuala Lumpur City Hall (DBKL/クアラルンプール市立会館芸術文化部)マネージャー

長年、特に舞台芸術分野のクアラルンプール市の文化行政を担当。傘下の市立劇場と舞踊団の管理運営、年間文化行事の開催、また多くのミュージカル、ダンス、伝統演劇、現代演劇のプロデュースを行う。

[シンガポール]パーリン・カイ Pearlyn Cai

1981年生まれ

Esplanade(エスプラナード/シンガポール市立舞台芸術センター)プログラム・オフィサー、シンガポール・ビエンナーレプログラミング部門マネージャー&アウトリーチ部門マネージャー(2006年、2008年)
Esplanade(エスプラナード)の様々な公演のプロデュースを行うほか、地域のフェスティバル、各種演劇プログラムに幅広く関わっている。特に、2011年?2012年のEsplanade(エスプラナード)の演劇シリーズは大変好評で、2011年のRamesh Meyyappan演出「Snails & Ketchup」は、この年の最優秀俳優賞とベスト・サウンドデザイン賞を受賞した。
WEB:http://www.esplanade.com/

[ウランバートル]バットルーガ・アグルー Battuluga Agluu

1975年生まれ
演出家、俳優

劇団Xtuts主宰
国立文化芸術大学卒業後、国立アカデミック・ドラマ劇場に入団、『ロミオとジュリエット』、『王の物語』などの主要な役を演じる。2001年から喜劇劇団Xtutsに参加、国民的人気を得る。

世界各地のフェスティバルやセレモニーに多く参加(2011年カザフスタン、2009年フランス、ハンガリー、2001年・2007年・2009年韓国、2007年英国、アイルランドなど)。映画出演、国内での受賞も多数。
関連動画:http://www.youtube.com/watch?v=BKJ__JTa5T8&feature=related

[東京]広田淳一 Junichi Hirota

1978年生まれ
演出家、劇作家、<アマヤドリ>主宰

2001年、東京大学在学中に劇団「ひょっとこ乱舞」を旗揚げし、現「アマヤドリ」で主宰。同劇団の全作品において脚本・演出を担当し、しばしば出演する。2009年と2010年「アジア舞台芸術祭(Asian Performing Arts Festival)」に演出家として委嘱される。2011年には韓国演出家協会の招聘により「アジア演出家展」に参加、ソウルに一ヶ月滞在し、現地俳優と創り上げた「ドン・ジュアン」を発表。2004年日本演出者協会主催 若手演出家コンクール2004 最優秀演出家賞受賞(『無題のム』にて)、2005年佐藤佐吉賞 最優秀演出賞・優秀作品賞受賞(『旅がはてしない』)、2011年『ロクな死にかた』にて劇作家協会新人戯曲賞最終選考
アジア舞台芸術祭2012 国際共同制作ワークショップEXT演出。

[デリー]ズレイカ チャウダリー  Zuleikha Chaudhari

<特別参加(Web上のディスカッションのみ)>

演出家、照明デザイナー

最近の演出作品は、”SEEN AT SECUNDRABAGH” (協力:インドのメディアアーティストグループRaqs Media Collective)/共同制作:ウィーン芸術週間(2012年、ウィーン)、クンステンフェスティバル(2011年、ブリュッセル)、フェスティバル・ドートンヌ・ア・パリ(2011年、パリ)。”ON SEEING”(原作:村上春樹作「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」(2008年?2010年)。また、照明デザイナーとしても活躍するほか、”Propositions: On Text and Space I (2010) and II (2011)”などのインスタレーションプロジェクトへの参加も多数。アジア舞台芸術祭2012 国際共同制作ワークショップEXT演出。
*プレ・ディスカッションのみ参加

アーカイブに戻る

PAGE TOP