APAF ART CAMP ラウンドテーブルプレディスカッション2014

APAF ART CAMP
ラウンドテーブルプレディスカッション 2014

2014年11月29日(土)開催予定のAPAFアートキャンプ・ラウンドテーブルに先がけ、パネリストがプレディスカッションを行っています。

テーマ IT社会におけるパフォーミングアーツの価値

プレディスカッション 第1週のまとめ

今週は「ITはこれまで、パフォーミングアーツにどのような影響を与えたでしょうか? またこれから、ITとパフォーミングアーツは、どのように共存できるでしょうか?」という最初の質問に対する回答を、参加アーティストの方々から寄せてもらっています。
アンドレイ・シドロフさんは、ロシアのパフォーミングアーツにおいて、ITの活用は、都市と地方ではまだ開きがあること、また、ロシアではパフォーミングアーツのオンライン上演が盛んであることを報告されました。
黒田育世さんは、御自身の創作体験から、身体表現という分野が「ITに関わりながらも、同時にITに侵された体を修復する」という課題を背負っていることを指摘されています。
ファン・インさんは、中国のパフォーミングアーツにおいてITが発揮している効果は、第一には商業的プロモーションであり、より収益をあげるためにオンライン上演がおこなわれることもあるが、これはパフォーミングアーツの、“生”の表現であるという特性に相反することでもあり、これをどう考えるべきか、と問題提起されています。
国により状況は異なりますが、パフォーミングアーツとITが切っても切れない関係にあることは間違いないようです。しかし同時に、それが果たして手放しで歓迎できる事態かどうか、慎重に考える必要があることも、見えてきました。
引き続き議論していきたいと思います。

ラウンドテーブルコーディネーター 大岡淳

テーマの説明

インターネットにアクセスできるのは先進国の人々のみ、という状況は、既に過去のものとなりました。
現在は、経済的発展の程度にかかわらず、ITインフラが世界各国で整備され、ITは私たちの日常にとって欠かすことのできないツールとなっています。
ところでパフォーミングアーツは、ある意味で、ITとは対照的な表現分野です。それは、自らの肉体を表現手段として、直接観客に訴えかけるものであり、ITによって置き換えることはできないからです。
しかし今日では、人々は劇場に足を運ばなくてもネット等で様々なショーを見ることができるようになりました。一例になりますがこのような今日の状況は、パフォーミングアーツの担い手も、ITの存在を無視できません。また、積極的にITを活用しているアーティストも少なくないでしょう。
ではパフォーミングアーツは、ITとどのような関係を結ぶべきなのか。そしてそのIT社会の中において、パフォーミングアーツの価値とはどのようなものであるのか。
これからそれを、皆様と共に議論したいと考え、まずは以下の質問を設定させていただきます。

最初の質問

ITはこれまで、パフォーミングアーツにどのような影響を与えたでしょうか? またこれから、ITとパフォーミングアーツは、どのように共存できるでしょうか?

アンドレイ・シドロフ

ITとパフォーミングアーツが、どのように共存できるか、ITがパフォーミングアーツにどのような影響を与えたかという問いには、いくつかの側面があります。
まず、インターネットとITは、PR、商業活動そして舞台作品を進歩させる強力なプラットフォームです。ソーシャルネットワーク、広告、また多くの記録媒体がインターネット形式に移行しています。
2つめの側面は、作品を創る過程における、ITとパフォーミングアーツのコラボレーションです。コラボレーションには、「目に見えない」はたらき(例えば、複雑なメカニズムを舞台裏で操作すること)と、「目に見える」はたらき、例えば、上演中にオンラインのビデオ通信の要素を使ったりすることの両方がありえます。
ロシアの劇場とロシアの芸術について一般的に話すとき、都市と地方では状況が全く違うことをまず理解しなければなりません。モスクワやほかの大都市では、ソーシャルネットワークが既に商業的手段としてかなり前から取り入れられていますが、地方では今まさに、SMM(ソーシャルメディアマーケティング)テクノロジーを使い始めたところです。また、モスクワやサンクトペテルブルクの大きな国際芸術祭は、技術的に複雑で、かつITを積極的に取り入れた高レベルな作品を招聘しています。しかし一方で、地方ではそのような高技術レベルの上演作品は非常に珍しく、上演作品の技術クオリティは概して低いのが現状です。私はトムスクという、モスクワから3000km離れたシベリアの町に住み、働いています。たとえば、トムスクの劇場にとって、作品を創る際に、(どのフェーズにおいても)ITを積極的に取り入れるというのは、新しい考え方です。
もうひとつ、パフォーミングアーツとITとのコラボレーションに関する重要な例があります。今日、ロシアではインターネットでのオンライン上演が非常に人気です。その殆どは無料です。これはとても素晴らしい考えです!なぜなら、トムスクに居ながらにして、私は世界のもっとも優れたパフォーマンスを見ることが出来るからです…こうして私は得難い観客体験をすることが出来ます。これは、”文化伝達者”としてのITの大切な使命であり、これこそが、世界の文化的コンテクストや文化的プロセスから、地方の文化従事者が疎外されないように助ける役割を果たすのです。

黒田育世

影響に関しては、 パフォーミングアーツにでなく、私の創作にどのような影響を与えたか、お答えさせて下さいませ。

1. ITが加速するなら体をもっと加速させねばと、より強く思うようになった。
2. 「踊りはとても懐かしいものだなぁ」と思っていたが、ITの拡大で「言葉すら懐かしい」と思うようになった。
3. ITに乗っ取られた体を解放するという使命が加わった。

共存に関しては、どの分野もITと関わりながら歩んでいくのでしょうが、身体表現の分野はITに関わりながらも、同時にITに侵された体を修復することの出来る分野だと思うし、修復しながらでないと、共存は出来ないと思う。

大岡淳

シドロフさん、地方にいながらにして、オンラインで様々な上演を楽しめるのは、確かにITの大きなメリットですね。私もふだんは、東京から200km離れた静岡という地方都市に暮らしていますので、YouTubeで、断片的ではあれ、世界の演劇について情報を得ることができるのは、大変便利であると感じています。
もっともこれは、都市の演劇人にとっても同様でしょう。例えば、メイエルホリドのビオメハニカが、どのような内容の訓練方法なのか、私たち日本の演劇人はほとんどイメージできていませんでした。しかし今や、ビオメハニカのワークショップを撮影した動画は、YouTubeでいくつも見ることができます。もちろん、実際に見たり体験したりする方がいいわけですが、しかし、翻訳された書物を通してしか情報が入らないよりは、はるかに先進的な状況であることは間違いないと思います。
このような、世界のパフォーミングアーツの具体的な内容をオンラインで共有できる状況が、これから世界のパフォーミングアーツをどのように変えていくと思われますか? シドロフさん、皆さん、お考えがあったら教えて下さい。

ファン・イン

このプレディスカッションがEメールやフェイスブックを通して行われていることからも、この瞬間にも私たちは舞台芸術の世界においてITがもたらす利点を経験し享受していると言えます。このような現代的なITのおかげで、私たちは演劇の世界のことを、世界をまたいでスムーズに話しあうことができます。
舞台芸術は“生の”芸術です。劇場に行って直接観劇することが出来ない時、ITのお陰で写真や映像を見ることができますし、そのおかげで公演がどんなものだったか少し伺い知ることができ、行けなかった悔しさも少し和らげることができます。私たちにとってITとは、このプレディスカッションの場でも話してきたように、その道の認識・知識を広げてくれる重要なツールなのです。
ここで私は二つの点を付け加えたいと思います。
まず最初の点は、中国の観客達にとって、ITの主な効果というのは商業的なプロモーションという点においてであるということです。Weibo(フェイスブックに似たもの)とWechat(Lineに似たもの)などを使うことは、中国において現在、舞台芸術のプロモーションをするのに非常に効果的な方法です。
そして二つ目の点は、より収益を上げる目的のために、生の舞台公演をオンラインで放送しようとするプロデューサーもいるということです。しかしながら、こうした発想は同時に、舞台芸術が持つ独自の特徴と相反することでもあります。こうしたことについてみなさんがどうお考えなのか、ぜひ知りたいです。

プレディスカッション 第1週のまとめ

この2週間は、前回の議論におけるアンドレイ・シドロフさん、ファン・インさんの問題提起を受けて、「パフォーミング・アーツとITとの相反する性格をどう考えるべきか」という論点に注目し、ダンスの文脈に即した質問を、黒田育世さんに投げかけてみました。黒田さんからは、より「生」である表現が求められるようになって来ているのではないか、という前向きな回答をいただきました。また、グエン・ホアン・トゥアンさんもこの問いに対して、目前に観客が存在するおかげで発展するという点が、ITとは全く異なるパフォーミング・アーツの特徴であるという回答を下さいました。
また、グエン・ホアン・トゥアンさん、タックス・ルタキオさんから、「ITはこれまで、パフォーミング・アーツにどのような影響を与え、これからどのように共存できるか?」という「最初の質問」への回答をいただきました。グエンさんは、パフォーミング・アーツにITがもたらすメリットとデメリットを、明確に整理して下さっています。ルタキオさんは、俳優と観客とのインタラクティブな関係を促進するという点で、ITに注目しておられます。
そして、音楽の文脈に即した質問に対して、ス・ザ・ザさんとヨン・ウンジョンさんからも回答をいただきました。
引き続き議論を継続していきたいと思います。

ラウンドテーブルコーディネーター 大岡淳

大岡淳

黒田さん、2つ質問させて下さい。
1. ダンスというジャンルでは、従来の舞踊譜(定型はないのだと思いますが)に加え、映像の記録を確認することが、振付の細部を反復するうえで不可欠になっていると思います。御自身では、振付の際に、記録映像は活用しておられますか。また一般的に、振付のプロセスに映像という要素が介在することについては、どのように感じておられますか。
2. シドロフさんの投稿に、ロシアでは演劇のオンライン上演が盛んであるとありましたが、ダンスの場合も、世界中のダンスが動画で容易に見られる時代となっています。このような現状については、どうお考えでしょうか。

黒田育世

私はこれまで創作の際にノートをいつも何冊も書いてやって参りました。ビデオも使います。
ただ、ビデオは、私が私の作品にいつも出演してしまっている為に使うというのが、本音です。
つまりリハーサルで外から観ることが出来ないということです。
例えば再演作品で、私のパートをリプレイスして、BATIKのダンサーが踊ってくれるという際には、殆どビデオは使いません。
それと、再演で振付けを確認する作業にはかなりの頻度でビデオを使用して参りましたが、笠井叡さんから、書くといいよという助言を頂き実行し始めてからは、振付けを覚える際にはあまりビデオを使わなくなりまして、書くというのがとても記憶に役立ってくれるということを実感し始めております。
この、書く、という際に、動きに名前を付けることが多くなるのですが、そのこと自体始めは少し悲しいのですが、これまでであればきっと名前を付けなかったであろう動きの名前を呼んでいくうちに、えも言われぬ愛おしさがにじんで参りまして、そのことはとてもやりがいというか踊りがいに繋がります。
ともあれ、書く、ということがビデオに替わって、翻ってまたやってきて、それぞれのやり方で確立していくこと、もしできたら、有効な手段になってくれるとここ最近に思い始めているところです。

黒田育世

私は、公演をする度に、より「生」である表現が求められるようになって来ているのではないかと、観客の方々の反応を受けて、前向きに心強く感じます。
生の芸術である、ということは、その舞台の見え方自体と同じくらい、「独り占めできない」ということが、作用するものだと思います。そして、「今生まれて死んだものを目撃している」ということだと思います。 表現者と観客の皆さんということと同時に、観客の皆さん同士の共犯のような関係性が、その場で色濃く起こること。
素敵な作品程そういった感覚が強くなるようにも思います。
例えばオンラインのものを、皆で集まって目撃する、ならば、この共犯関係にほんの少し近いと思いますが、それならばきっと劇場に行った方が話は早いかと思います。しかしこれも首都圏にお住まいの方に限るかもしれません。
また、例えば、外国で上演されるものでなかなか見ることが出来ない、だからオンラインで皆で集まって観よう!ということならば、もしかしたらあり得ることなのかもしれません。
生の一流の表現、というと、有名な作品だったり話題の作品だったりを思い浮かべてしまいがちです。それはやはり日本であれば確かに東京に集中しがちだろうと思います。
極端な事例かもしれませんが、私は今、各地方に根付く民俗芸能を勉強中ですが、農協のジャケットを脱ぎ捨て公民館でお神楽をお稽古される、お百姓さんとは信じがたい超一流の舞、廃校に集まっておもむろに歌われた80歳代の漁師さんの超一流の歌を目の当たりにして、東京一極集中というのが、一つ妄想に思えて参りました。
その土地に根付き、その土地で細くとも大切にされて来て生き抜いている超一流のもの、そのかけがえのなさを、不勉強もあり、私は生まれ育った東京で出会うことが出来ませんでした。
そして、その踊りや歌の在処には確かな共犯関係が感じられました。
個人的な感覚ですが、そういった共犯の感覚というものが、裸な状態でそこに置かれていること、それが世界だと思います。
踊りは、ITの下にあるものでも、政治の下にあるものでも、経済の下にあるものでもなく、どこにでも溶け入っているものだと、思うのです。
ですから、ITで華やかにならなくとも、政治にそっぽをむかれても、経済において効率的でなくとも、それでも必ず踊り出すものだと思います。
そして、ITや政治や経済の社会ですり減ってしまった体を修復したり、空いてしまった空洞を埋めていったりできるのは、踊りだろうと思っています。 最後に、例えば今回のITの件でも、「全面的に居所を貰えてしまった」としたら、踊り自体ではなく、踊る人間が返って行き場をなくすような気がしていて、いつもそのバランスを、踊る側が真剣に見つめていないといけないと思います。

大岡淳

黒田さん、御回答ありがとうございました。
第1点についての御回答にある、書くことが記憶に役立つということ、また、動きに名前をつけることがやりがいを生むということ、いずれもとても面白いですね。演劇でいいますと、スタニスラフスキーが『俳優修業』の中で、演技練習における鏡の過度の使用を戒めているのを想起しました。鏡を使いすぎると、外見にばかりとらわれるようになって、演技の本質が見失われるというのがその理由です。舞踊の場合も、書いて動きに名前をつけるというのは、単にフォームを記録するだけでなく、その動きの本質を抽出する作業に相当するのかもしれませんね。 この「本質をつかみそこなう」ということが、我々舞台芸術の人間が、ITに対して警戒心を抱く、根拠のひとつとなっているかもしれません。それは、第2点についての御回答と関連していると思いますので、ここからは、他の方々とも共有している「舞台芸術とITとの相反する性格をどう考えるべきか」というテーマに絞って、議論を継続させていただきたいと存じます。
参加アーティストの皆さん、ファン・インさんも投げかけられた「舞台芸術とITとの相反する性格をどう考えるべきか」という問いについて、既にお読みいただいた通り、先の投稿で黒田さんは「表現者と観客、また観客同士の間で生じる、濃密な共犯関係」が舞台芸術の特徴であり、「より生の表現が求められるようになっている」という現状認識を述べておられます。皆様のお考えは如何でしょう? 投稿をお願いいたします。

グエン・ホアン・トゥアン

大岡淳さんの質問へのコメント
現在のベトナム社会におけるITの発展は、嵐のように速く進んでいるということはもはや否定することができません。素晴らしい演劇作品達の歴史や有名な俳優たちのキャリアの背景、また映画や舞台公演やミュージカルや交響楽団などあらゆる公演を記録した映像ビデオまで、ただインターネットにアクセスするだけで、舞台芸術についての情報を簡単に見つけることができます。
しかしながら、私の意見としましては、舞台芸術におけるITの役割について語るためには、ありとあらゆる視点を持たなくてはいけないと思います。
1.ITは、リサーチするという目的においてとても便利なものです。
インターネットやビデオテープは書類や写真、舞台芸術についてついての雑誌などの情報を貯めておくのにはとても効率のいい保管先です。演劇のスキルやバレエ、サーカスのパフォーマンスや歌唱などのテクニックなどを他の人に伝えたり、そこから学んだりすることもできます。
2. ITはアート作品のマーケティングにおいてとても効果的であるということがわかっています。現代の生活においては、人々は忙しくずっと仕事に追われています。そういった状況にある人々は、それぞれの生活で芸術に触れる時間を多くとることができません。ITとは、舞台と観客を結ぶための一番近い橋なのです。現在の傾向として、もし俳優たちが宣伝にITを使わず、観客に自分達や作品の紹介をしなかったとしたら、いくらよい劇でよい脚本で、素晴らしく演じるよい役者がいても、それは素早く観客達には広まって行きません。劇場でしか公演がなされないとすれば観客の数は限られてしまいますが、もしそれが生中継されたり、記録されてビデオやディスクとして広まったりすれば、観客の数はよりもっと多くなりますし、社会的な効率もより上がります。
3. またITは、分別を持ってうまく使われない場合には弱点もあります。2012年から13年にかけて、タンロン水上人形劇場(Thang Long Water Puppet Theater)では、公演でいくつかのテクノロジーを採用しました。海外からの観客がよりよく公演について理解できるように、劇中の会話をベトナム語から英語に翻訳した字幕を出すためステージ上にモニターを持ち込みました。しばらく経ってから、水上で動く人形の動きと舞台上方にあるモニターの内容を、観客が同時に見ながら追うことができないという理由で、劇場ではモニターを取り外したということがありました。公演が盛り上がってくるとパペット人形の動きがとても洗練されていくため、海外からの観客達も、ベトナム語が理解できずともアーティスト達と一体になって感じることができるのです。
舞台芸術において、歌とダンス、照明とLCDモニターというのは、多くの演出家やプロデューサーによって採用されていました。時には、美しい背景となる明るく輝く照明ライトは、俳優たちのパフォーマンスを飲み込んでしまうこともあります。観客達はモニタースクリーンにばかり感動し、真に芸術的な価値をつくる本当の要因であるところのパフォーマンスそのものを享受することをすっかり忘れてしまうこともあるのです。
舞台芸術の中には、ベトナム版オペラであるTuồng、伝統敵なオペレッタであるChèo、(ベトナムの)ゲイシャが歌うả đào、または上品はベトナム雅楽であるnhã nhạc of Hue courtのようなベトナムの伝統的な舞台芸術など、観客が真の芸術的な価値を感じ、息継ぎや言葉の言い方などアーティスト達がそれぞれに披露する技術を感じるためには、ITを使うことを控えた方がよい場合もあります。

グエン・ホアン・トゥアン

インさんのご質問へのコメント
ベトナムでは、公演がインターネットで生中継されたということは今だかつてありません。しかしながら、テレビでは生放送があります。演劇の番組は全てが生中継です。これらのチャンネルは完全に無料のもので、利益はまったくありません。こういったタイプの放送のよいところは、テレビを持っている限り、たとえ人里離れたところにいたとしても、みんなが見ることができるということです。教育を普及させるという目的においても、演劇の内容を宣伝し広めるというのは効果的です。
ITとは技術的なものです。物理学や数学のような、科学分野の研究過程の最終的な結果でもあります。またITは機械を発明するための道具です。舞台芸術は全く違うものです。それはアーティストのクリエーションです。才能や技術が全ての役割において完全に溶け合うことで、公演が成功します。
劇場で座って公演を観る時、観客達は本物の肉と骨を持った生身のリアルな登場人物と向き合っています。舞台上での叫び声や涙の粒、そして俳優たちの息づかいなどを通じて、目や耳で本物の演技を感じることができるのです。周りの人々の歓声の雰囲気ですら時に強い効果をもたらします.それは、小さなスクリーンの前に座り、目が使い過ぎで疲れてしまうようなこととは完全に対極にあり、そうしたことで感じられる感情は非常に限られています。ですから明らかに、一方にはIT–機械–技術があり、そしてまた一方には舞台芸術–人間–感情があります。もし双方が互いに関わる必要がある際には、非常に気をつけねばなりません。時には舞台芸術でのITの使い過ぎは、期待に反した結果となることもあります。もしかしたら、ただ家でモニターやテレビの前に座って公演を見るだけで、それが舞台芸術そのものをゆっくりと衰退させてしまっているということに気づかないような、怠け者タイプの観客を創りだしてしまうことになりかねません。舞台芸術は観客なしには存在も発展もできません。想像してみてください。もし劇場で観客なしの公演があったとしたら、それは生き残ることができるでしょうか? アーティスト達は芸術作品を創造するモチベーションを持てるでしょうか? 観客とは呼吸そのものであり、アーティスト達の命なのです。

タックス・ルタキオ

アーティスト達がコミュニケーションを通じて互いにコラボレーションするプロセスが変わってきました。リサーチの中で与えられた題材についての情報に素早くアクセスすること、インスピレーションの源を得ること、中でも一番重要なのは、共通言語をつくっていくということです。
ITのお陰で、今の世代は自分達のペースで素早く情報を得ることができ、自分の考えを他の人々へすぐに伝えることができます。そういったことは、パフォーマンスにおいては起こりえません。
Facebookでのステイタスやツイートという概念が出てくるにつれて、瞬間的な突発性だけで行われるバラバラになったかけらのような思考というものをITは生み出してきました。観客達はこういったことに非常に大きく影響され、自分達が見るものもバラバラのかけらのようなパフォーマンスであるかのように期待をします。こうした考え方は観客達の感覚や感受性を変えました。実際、最近の公演は通常ソーシャルメディアを通じて販売されたり宣伝されたりしています。ITはある公演について知らせるための道具として受容されているだけではなく、この世代の日常生活の一部として認識されているのです。
観客がパフォーマンスの一部となるようなインタラクティブな形態の公演が増えてきている現代で、こうして起こっていることは演者と観客の力関係についての均衡をとっています。
物語そのものや俳優たちは今、観客がその体験全体の一部となるように働きかけており、演劇はもはや受け身のものではありません。その良い例は今フィリピンで行われている、アウグスト・ボアールの非抑圧者の演劇に由来するフォーラムシアターです。フォーラムシアターでは、俳優達がディスカッションの中に入り内容を進めていき、パフォーマンスのキーメッセージとなることを観客達に考えてもらうよう引き込んでいきます。そのようにして観客は「スペクト-アクター(※スペクテーター(観る者)とアクター(演じる者)が混ざった言葉)」となり、協同体としての観客として、ファシリテーターの俳優と共にディスカッションに参加します。
演劇では、俳優たちとそのパフォーマンスの動的な関係性が常に重要です。情報技術(IT)が、こういったことを進めていく方法の助けとなる限り、この関係性を革新しより興味深くするために引き続き発展し続けていくべきだと思います。
こちらのリンクから、私がフォーラムシアターについて書いた記事を読んでみてください:
http://lifestyle.inquirer.net/…/paglaom-how-theater-has-bec…

大岡淳

ヨン・ウンジョンさん、ス・ザ・ザさんに質問です。
現在、“生”の芸術であるパフォーミングアーツと、ITとの関係について議論が始まったところですので、これに関連しておうかがいします。簡潔にお答えいただければ結構です。
あなたの音楽活動において、生演奏とCD録音を比較して、CD録音では伝えきれないことがありますか。あるとしたらそれは何ですか。
また、CD録音をする際に、生演奏のクオリティを再現するために、気にかけておられることがもし何かあれば、教えて下さい。

ス・ザ・ザ

とくに私は生演奏の魅力をCDから伝えなければならないと思っていませんね。(音楽を何回も録音しましたがCDを出したことはまだないですけど)音楽をCDで録音するときも生演奏で演奏するときも自分の持っている力でいい演奏にするということが大事だと思います。

ヨン・ウンジョン

現在私が演奏しているヘグムは、韓国の伝統楽器の特徴でもある自然の材料で手作りされた楽器なので音量は小さいですが、電子機器を通した音とは差別化された自然の音、とすることができます。したがって、最近は私たちの国楽管弦楽団でも、臨場感を生かすためにマイクの音量を控えることもあります。CD録音時には、公演時の鮮明さを生かすためにライブ録音をして、最小限の音響装備で録音したりします。

プレディスカッション 第4・5週のまとめ

この2週間は、まず私が、これまでの議論をふまえ、パフォーミングアーツにとってのITの4つの効用をまとめました。そのうえで、黒田育世さんからは、人々の身体がITに浸食されている現状についての危機感を語っていただきました。アンドレイ・シドロフさんからは、第1週に大岡から投げかけた、「ITはパフォーミングアーツをどう変えるか?」という問いに対して、ITのおかげで私たちは空間的・時間的に隔たったパフォーミングアーツについてもよりよく知ることができる、との肯定的な回答をいただきました。ファン・インさんからは、第2・3週におけるグエン・ホアン・トゥアンさんのコメントを受けて、パフォーミングアーツはやはり目の前の観客との関係によって成立するだろう、という、ITとの差異を強調する回答をいただきました。グエン・ホアン・トゥアンさんも、パフォーミングアーツ体験はITで代替できるものではないとした上で、ITの有効性はマーケティングと宣伝においてしか有効ではないだろうと推測されています。
以上のようにこの2週間は、ITに還元し切れないパフォーミングアーツの固有性を確認したうえで、パフォーミングアーツにとってのITの利便性と危険性を、整理できたと思います。
この後の議論は、いよいよ11月29日(土)のAPAFアートキャンプ・ラウンドテーブルで、実際にパネリストの皆さんが顔を合わせて、展開することになります。

ラウンドテーブルコーディネーター 大岡淳

大岡淳

ス・ザ・ザさん、グエン・ホアン・トゥアンさん、タックス・ルタキオさん、コメントありがとうございました。皆さんの御意見から、パフォーミングアーツとITとの関係が浮き彫りになってきました。改めて、この関係について整理してみます。
パフォーミングアーツにとってのITの4つの効用
1、アーカイブとしての効用。
2、広報ツールとしての効用。
以上2点のメリットについては、皆さん同意して下さると思います。シドロフさんが紹介されたオンライン上演や、グエンさんが紹介されたテレビ生放送は、新たに観客を獲得するためのプロモーションならば2に当たるでしょうし、啓発・普及のための活動ならば1に当たるでしょう。
3、制作のプロセスにおける効用。黒田さんが、御自身の振付の作業で、ビデオを限定的に使っている例を紹介して下さいました。また、アーティスト間のコミュニケーション・ツールとして活用することもあると、ルタキオさんが指摘されました。アーティストが「共通言語」をつくることにITは貢献してくれます。
4、上演に関わるテクノロジーとしての効用。これについては、様々な実践例があるだろうと思います。ルタキオさんが指摘されているような、パフォーマーと観客のインタラクティブな関係の創出を、ITは促進してくれます。また同時に、上演におけるITの不適切な使用は、上演の魅力を損なってしまうことを、グエンさんの字幕のエピソードが伝えてくれています。

みなさん
上演の中でITを積極的に使用し、成功した事例や失敗した事例を教えて下さい。また、前回問題提起した「パフォーミングアーツとITとの対照的な性格をどう考えるか」についても、御意見があれば引き続き投稿して下さい。

大岡淳

黒田さん、もうひとつ質問させて下さい。
「ITに乗っ取られた体」との御指摘ですが、具体的に、どのような現象をイメージされているか、教えて下さい。

黒田育世

イメージというよりは印象なのですが、、、沢山ある中の一つには、「速度に乗っ取られた体は遅い」という印象です。
例えばスマートフォンを見ながらイヤホンを耳にしている方々は、駅のホームでも遅いです。
光速で色んなものをキャッチしている体でしょうが、実際のムーブメントは緩慢です。目の前にお年寄りがいらしても気付かない。
最近アナウンスが多いもので分かりやすい事例を挙げるなら、上記かと存じます。
そういった体を踊り演じるのと、そもそもそういう体なのとは全く違いますし、私は少なくとも踊り手なので、緩慢な体ではいられないというのが私の率直な気持ちです。
もしかしたら、ずっとずっと昔は、体に、光速に代わるような、感知の速度のようなものを持っていたのかもしれませんね。体に備わった速度と外の速度とのパーセンテージが徐々に逆転しているのかもしれません。喪失感はあります。
そういうことも一つあって、時代に体をぶつけて踊りたいと思うのだと思います。

大岡淳

黒田さん、早速の回答ありがとうございました。脳の情報処理が速くなればなるほど、身体の本能的な行動や反応は遅くなるという観察は面白いですね。確かに、様々な肉体労働が機械によって代替され、頭脳労働が増加するのに伴い、私たちの身体は、オフィスで椅子にじっと座ったままの姿勢を強制されるようになりました。そのような窮屈な姿勢から一時的に身体を解放する際、多くの人々が、「健康」という目的を達成するために、スポーツジムに出かけてエクササイズを実践しています。もちろん何もしないよりエクササイズをやる方がいいと思いますが、そこでも人々は、運動量や筋力を細かく測定し、体重や体脂肪率や血圧といった医学的な数値を非常に気にかけています。それはまるで、情報技術に浸食された身体を解放しようとして、今度は医療技術に浸食されているかのように、私には思えます。舞踊や演劇における創造的な身体は、このように一見「便利」だったり「快適」だったりする様々な技術に魅惑されず、自分の身体の自律性を取り戻そうとする点に、存在意義があるのかもしれません。

アンドレイ・シドロフ

大岡さんの質問にお答えしたいと思います。
1. ITがここまで大きく進化する前、国際的な演劇祭などが重要な役割を果たしていました。そういった場で、舞台芸術界で活動する人々は出会い、学び、そして新しい経験をすることができたのです。もちろんITは、こうした国際演劇祭から遠い場所にいても、こういった体験に(物理的に)出会うことを可能としてくれます。さらに、例えばメイエルホリドなどがいい例ですが、ITのおかげで「歴史」となったような出来事に出会うことも出来ます。私にとって、それはすばらしいことです!
もちろん、ITの力によってすべての境界が消えゆくことで、舞台芸術の均質化を恐れる人もいます。しかしひとつ明らかなのは、そういった均質化は起こっていない、ということなのです。
それぞれの国における舞台芸術はそれぞれの味わいがあり、その背後には独自の文化があります。そしてまた、二人として全く同じアーティストはいないですよね?
2. 黒田さんがおっしゃったような問題について、私の意見です。上記のような一方で、ITやガジェット、また一般的に、絶え間ない情報への強い依存傾向が多くなってきているように思います。それは私たちの日常生活のリズムや毎日のスピード感にも影響を与えています。
しかし、ロシアの舞台芸術、特にロシア演劇はとても特有であるため、ITのそういった束縛は感じません。

ファン・イン

グエンさんのご意見への私のコメントです。
インターネットでの公演の中継は中国でもまだ行われていません。しかし、最近になってより多くのプロデューサー達がそれを実現させてようと計画しています。オンラインシアターについて、みなさんと議論する機会があるのですが、そういった時にはいつも私は否定的です。その理由というのは、パフォーミングアーツにITが入ってこないようにしたい、という訳ではないのです。
かつて、ITの発展によってパフォーミングアーツが変容したことがありました。スクリーン上での演技というものはパフォーミングアーツの一部でないということは否定できません。映画を撮影する技術的なツールは、創作の過程そのものや、伝統的な演劇における演技の仕方などをゆっくりと変えてきました。もちろん、舞台での演技が、役を演じる際の基礎であることに変わりはありませんが、スクリーン上での演技というものは独特です。映画を撮る際、そこには実際の「観客」はいませんし、毎回の撮影ではそこに完成されたプロットはありません。エディターが、生のパフォーミングアーツでの経験を元にそれを活かして編集で形につないでき、演技が完成するのです。 しかしながら、インターネットでの中継は、新しい種類のパフォーミングアーツだとは思いません。これは観客のみなさんの気を引き、より多くのお金稼ぎをするために新しく出て来たトリックのようなものです。
ITは、機械を発明するためのツールであるだけではなく、世界の新しい認識の仕方でもあります。こういったツールは自然の人間の体そのものではないので、そのような技術を人が受容するには人間の身体には多少の変化に耐えなければなりません。さらに、そういったツールは、思考や認識の方法を変えてしまうのです。現代のITは集中力をなくさせ、意識があちこちに散在してしまうような状況をつくり出しています。この直接的な影響がわかるのは、ウェブでのパフォーミング作品がより短く、そして強い刺激を与えるものをなっているということです。私は、パフォーミングアーツは観客がいてはじめて存在し発展できる、という意見に賛成です。ですからいつか新しいITが、新しい観客世代のための新しいパフォーミングアーツを生み出すこともあるかもしれません。これはまた別の興味深いトピックです。観客が劇場で座って公演を見ている時は、観客達は、本物の肉と骨のある本当のキャラクター達と向かい合っています。ですから現在の段階では、劇場に行くということは、他の人たちと出会いたいという人間の本質であり、電気機器に出会いたいわけではないのです。
中国では、演劇が放送されるテレビ番組がありますが、これは無料なので利益はありません。しかしながら、二種類の演劇のみです。ひとつは京劇(Peking opera)や崑劇(Kunqu opera)などの中国の伝統演劇です。こうした演劇は、関係者の生活を支えるだけの十分なお金を稼ぐことができないため、政府や各機関からの投資によって支えられています。ですから、ぜひもっと多くの観客に観ていただき、関わる人々が生活を続けられるようにすることが一番重要です。そしてもう一つの種類というのは非常に珍しいものですが、全員スーパースターの一度きりの公演です。したがってこれらの番組が、アーカイブとしての性質を備えています。

グエン・ホアン・トゥアン

タンロン水上人形劇場はあらゆる種類の人形劇、特に伝統的なものに特化した伝統的な演劇です。こうした人形劇では、舞台の背景に始まり人形の形や構成、アーティストの表現の仕方まで、常に古くからの価値観を深めて尊重します。情報技術が日ごとに伝統的な芸術の中核的な要素を忘却の中に失わせると懸念されています。これはITを表現芸術の中に持ち込むことが非常に限られる理由です。水上人形劇はパフォーマンスをする場所(池、湖、広がる自然がある村など)と演劇を強くつなぎます。これは視覚(人形たちのかわいらしい動き)、聴覚(非常にベトナムらしい伝統的な歌や楽器)、嗅覚(説明は難しいですが爆竹の煙のにおい)といった感覚を通して引き起こされる突然で激しい感情を伴う、観客とパフォーマンスをするアーティストとのハーモニーなのです。こうした特有のものは舞台を直接観る観客にしか感じられません。これはITのライブ放送ではもたらし得ないものなのです。
いつもインターネットで観る観客はモニターによって視野を制限され、限りがあり、パフォーマンスの本当の雰囲気の中で呼吸をしたりその場で生きることはなく、最悪なことに千回ビデオテープを観たとしてもアーティストの芸術にある創造性は一度しか現れることはありません。これはパフォーミングアーツのあり方とは真逆なのです。演じるシーンの中でアーティストはキャラクターを表現する何百もの方法を持っています。それはどの程度感情が高まるかによりますし、同じ台詞や同じジェスチャーであってもアーティストはそのキャラクターが喉の痛みを抱えているとか疲れているとかを表すときは違う方法で表現するよう自分を調整します。表現芸術とは止むことのない創造なのです。アーティストの中には録画したばかりの自分たちのパフォーマンスを観てやり直したくなる人がいることもこれによって説明がつきます。彼らは変えることのできない自分たちの創造を全て投げ打ちたくなるのです。タンロン水上人形劇場がパフォーマンスをサポートする目的でモニターを使うという新しいテクニックを利用したときもありましたが、限界があったことと観客と演者双方にとって悪い影響があったため取りやめられました。情報技術はパフォーミングアーツにとってはマーケティングや広告の面のみで効果的なのかもしれません。

大岡淳

>シドロフさん
かつてマーシャル・マクルーハンが、情報化の進展によって地球全体がひとつの村になるだろうと予言しましたが、インターネットの登場によって、この予言は成就しつつあると思います。またマクルーハンは、この地球村(Global village)では、小さな差異をめぐる対立(conflict)が顕在化するだろうとも考えていました。シドロフさんの御指摘の通り、今日の情報化は必ずしも均質化に帰結しておらず、この点でもマクルーハンの予言は的中したかのようです。とすると、地球村に生じる小さな差異をめぐる対立を、多様性を尊重する寛容な精神へと転換することが、インターネット時代における、パフォーミングアーツのひとつのミッションなのかもしれませんね。

大岡淳

>ファンさん
ウェブ上のパフォーマンスがより短くより強い刺激を与えるものになっているから、オンライン上演については懐疑的である、という御指摘は、重要だと思います。御指摘の通り、かつて映画の演技が徐々に舞台の演技に影響を与えたわけですが、今日の、断片化されアップロードされたオンラインのパフォーマンスが、オフラインのパフォーミングアーツに悪い影響を与える可能性はあると思います。逆に、人々が自らの感覚をITに束縛されることの限界や危険性を認識できれば、パフォーミングアーツの独自性が改めて注目を浴び、ITとの良好な関係を築くこともできるかもしれません。

大岡淳

>グエンさん
おっしゃる通り、パフォーミングアーツの様々な特性は、映像のような媒体に還元することはできないですね。そこで私は、近代絵画の軌跡を想起します。写真の発明に伴い、絵画は、「現実を写す」ことについては写真にかなわないことが明らかになりました。これはしかし、絵画が「現実を写す」ことからの解放をも意味しており、絵画は、写真にヨリ鮮明に現れている遠近法を放棄して、2次元でしかできないことを突き詰め、抽象的な表現技法を開発し、ジャンルとしての自立性を獲得しました。同様にパフォーミングアーツも、IT化の進行に伴い、映像や情報には還元できない自立性を、顕在化させることになるのかもしれません。

大岡淳

そろそろ、Facebook上での議論も一段落かと思いますが、まだコメントしていただいても結構です。ITが舞台芸術にもたらす否定的な影響については色々議論できましたが、肯定的な面についてはもう少し皆様の御意見をうかがいたいところです。ともあれ全体としては、この後の議論は土曜日のラウンドテーブルに引き継ぎたいと思います。皆様にお会いできるのを楽しみに致しております。御投稿どうもありがとうございました。

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